★ 2006.08.27 / ALL ABOUT
さして面白くもない24hテレビ。
思いつき1泊で釜山に行くつもりだったのをやめて部屋で過ごしている。今頃、市場めぐりに疲れて果てて、焼肉でも食し、ホテルがとれなかったら朝までチムジルバンに居るはずだった。
だけど、満喫したいなら夏は避けた方がいいというアドバイスを受け気が変わった。せっかくなら冬!ということだ。
ネットにも飽きてきて気分転換にスーパーまで行った。
夏のお気に入りは杏仁豆腐とチョコミントICE。
車も少なくなった深夜午前の通りは暖色のライトに照らされて特別なものに映る。クラブから抜けてコンビニに行くときのように好奇心や興味を惹きつけられてしまう。見慣れた通りでも自分の足で歩いていると思いもしなかったことや、普段気にしなかったものに気づかせてくれる。
風が気持ちよく虫の音も聞こえていたので少し遠回りをして帰ることにした。帰り道、この道はよく祖父に連れられて歩いた。寄るつもりのなかった公園のベンチに座って、その通りをしばらく眺めていた。
西南戦争の事後処理からはじまって一切を手放すかたちとなり曽祖父の代から熊本から福岡に流れてきたらしい。9人兄弟の5番目。少年期に母をなくし生活も苦労が多かったという。祖父は剣道、遠泳、釣り、書道、乗馬、頭も冴えていて、歌がうまく、タップもやった。コロムビアにスカウトされたとも言っていた。日本が戦争へと向かう時代の動き。その過程で、希望を託して下関から船に乗り込み朝鮮半島へ渡り満州へと向かう。経由してモンゴルへ行きたかったのだが渡航に必要な旅券を持たずして途中で帰国となる。祖母と知り合う。背が高くハンサムで優しかったという。短所は短気、頑固、酒飲み。ブラジルに開拓に行った親戚を羨ましく思いながらも、曽祖父に後を頼られていたらしく、そうこうしていると徴兵となる。逓信部隊では命掛けで負傷した戦友を背負いながら東南アジアの山中を進行し、敵国の兵士を望まずながら一人殺めた。帰国後、祖母と結婚。父たちが生まれる。石炭関連から造船会社へと仕事を変え、退職後は経理の知識を生かして身内のところを手伝ったり、近くの子供たちに習字を教えていた。父はほとんど一緒に夕食をとったことがなく引越しばかりだったと話す。休みの日もたいてい朝から釣り等に行って家に居ることがあまりなかったらしい。そしてゲートボールの名手でチャンピオンになる。僕が生まれる。将棋、工作、自然遊びといろいろ教わった。祖父はだんだんと病気を患う。サンパウロで病院等の経営をやっている親戚のところに祖父自身は会いに行くことはできなかった。でもお兄さんが代表して訪れた際に、自分たち兄弟宛てにそれぞれ持たせてくれたという土産品や、戦地からの撤退の際に自分がひっそりと持ち帰った銀製のフォーク&スプーン(お兄さんはメガネカイマンの子供w)の話しが幼心の僕には強く記憶に残っている。晩年は病気のため不自由を余儀なくされたものの祖母に尽くしてもらい家族にも見守られながら幸せなかたちだったと思う。
祖父と一緒に座っていた気持ちになったので記憶を辿って書いてみた。
思いつき1泊で釜山に行くつもりだったのをやめて部屋で過ごしている。今頃、市場めぐりに疲れて果てて、焼肉でも食し、ホテルがとれなかったら朝までチムジルバンに居るはずだった。
だけど、満喫したいなら夏は避けた方がいいというアドバイスを受け気が変わった。せっかくなら冬!ということだ。
ネットにも飽きてきて気分転換にスーパーまで行った。
夏のお気に入りは杏仁豆腐とチョコミントICE。
車も少なくなった深夜午前の通りは暖色のライトに照らされて特別なものに映る。クラブから抜けてコンビニに行くときのように好奇心や興味を惹きつけられてしまう。見慣れた通りでも自分の足で歩いていると思いもしなかったことや、普段気にしなかったものに気づかせてくれる。
風が気持ちよく虫の音も聞こえていたので少し遠回りをして帰ることにした。帰り道、この道はよく祖父に連れられて歩いた。寄るつもりのなかった公園のベンチに座って、その通りをしばらく眺めていた。
西南戦争の事後処理からはじまって一切を手放すかたちとなり曽祖父の代から熊本から福岡に流れてきたらしい。9人兄弟の5番目。少年期に母をなくし生活も苦労が多かったという。祖父は剣道、遠泳、釣り、書道、乗馬、頭も冴えていて、歌がうまく、タップもやった。コロムビアにスカウトされたとも言っていた。日本が戦争へと向かう時代の動き。その過程で、希望を託して下関から船に乗り込み朝鮮半島へ渡り満州へと向かう。経由してモンゴルへ行きたかったのだが渡航に必要な旅券を持たずして途中で帰国となる。祖母と知り合う。背が高くハンサムで優しかったという。短所は短気、頑固、酒飲み。ブラジルに開拓に行った親戚を羨ましく思いながらも、曽祖父に後を頼られていたらしく、そうこうしていると徴兵となる。逓信部隊では命掛けで負傷した戦友を背負いながら東南アジアの山中を進行し、敵国の兵士を望まずながら一人殺めた。帰国後、祖母と結婚。父たちが生まれる。石炭関連から造船会社へと仕事を変え、退職後は経理の知識を生かして身内のところを手伝ったり、近くの子供たちに習字を教えていた。父はほとんど一緒に夕食をとったことがなく引越しばかりだったと話す。休みの日もたいてい朝から釣り等に行って家に居ることがあまりなかったらしい。そしてゲートボールの名手でチャンピオンになる。僕が生まれる。将棋、工作、自然遊びといろいろ教わった。祖父はだんだんと病気を患う。サンパウロで病院等の経営をやっている親戚のところに祖父自身は会いに行くことはできなかった。でもお兄さんが代表して訪れた際に、自分たち兄弟宛てにそれぞれ持たせてくれたという土産品や、戦地からの撤退の際に自分がひっそりと持ち帰った銀製のフォーク&スプーン(お兄さんはメガネカイマンの子供w)の話しが幼心の僕には強く記憶に残っている。晩年は病気のため不自由を余儀なくされたものの祖母に尽くしてもらい家族にも見守られながら幸せなかたちだったと思う。
祖父と一緒に座っていた気持ちになったので記憶を辿って書いてみた。











